春爛漫 お天気もよく、
桜も満開!
いてもたってもいられなくなって、
急遽友達を誘って
お花見に行くことにしました。
桜を見るならやっぱり宮島でしょ!
ってことで宮島に行ってきました。
日本三景で有名な宮島は
広島県人にとっても
お気に入りの場所です。
気軽にいけるし、
歴史のある観光名所もたくさん
風光明媚な景色に心が癒されます。
そしておいしい食べ物もあります。
JRに乗るとお昼前なのに、
ラッシュ並みのぎゅーぎゅー詰め。
外国人も多く、
みんな宮島に行くみたいです。
途中の駅で乗り降りに時間がかかって、
列車に遅れがでるほどでした。
JR宮島口から徒歩で
宮島桟橋に向かいます。
途中、穴子飯で有名な
「うえの」があります。
人気のお店とあって長蛇の列ができて
いました。
フェリー乗り場には
小さな鳥居と
黄金の舞楽蘭陵王像があり、
宮島の期待感が高まります。
フェリーの中からみた大鳥居。
山の一部が桜でピンクになっています。
宮島に着くとまずは腹ごしらえ。
お目当のお店は「牡蠣屋」さん。
観光客でごったがえす表参道商店街
世界一の大杓字(おおしゃもじ)の
近くにあります。
ここも人気のお店なので、
すでに並んでいます。
だけど、
ここの牡蠣屋定食が
食べたいので並びました。
殻付き牡蠣の焼けるいい匂いがします。
さほど待つことなくお店に
入ることができました。
メニューを見ると、
単品が数品と
定食は1種類しかなく、
並んでいるときに注文を取って
くれるので、
早く回転させるためのお店の工夫だなと
思いました。
こちらが牡蠣屋定食。
焼きガキ、カキフライ、牡蠣のオリーブづけ、
牡蠣飯、赤だしにも牡蠣が入っています。
本当はメニュー表に載ってない
裏メニューだったんだけど、
みんなに知れ渡ってしまって、
今では看板メニューになっています。
ワインの品揃えも豊富で、
お昼からグラスワインも頼んじゃいました。
さて、お腹がいっぱいになったところで、
桜見物にでかけました。
応永14年(1407)年に建てられた
優美な塔です。
高い塔なので、島内のいろんな場所から見え、
見る場所によって表情が変わるのも
魅力の一つです。
多宝塔近くの高台から見た五重塔 厳島神社入り口付近から見た五重塔
五重塔の近くに千畳閣があります。
とても広い伽藍で、畳を857畳敷くことが
できます。
この千畳閣は天正15年(1587年)に豊臣秀吉が
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に命じて建立
させたものです。
建立の途中で秀吉が亡くなってしまったので、
未完成のままになっています。
明治時代に秀吉公と加藤 清正公が祀られ、
豊国神社となりました。
広い床はぴかぴかに磨かれています。
これだけの広さの伽藍を磨きこむのは
大変だろうなと思いました。
すぐ外に大銀杏があり、
秋には見事に黄色に
色づいた大銀杏が床に映ってとても
迫力がある美しい光景が見れます。
壁がないので、風が吹き抜けてとても
気持ちがいいです。
しばらく座って海を眺めて
いました。
時がゆっくり流れていきます。
山道から撮った多宝塔
桜の花で塔が遮られるほどでした。
高台から見る大鳥居は
青い海に朱が映えてとても
きれいです。
遠くから見てもどっしりとした
存在感があります。
桜を見ながら山道を降りてくると
かわいい鹿がいました。
結婚式の前撮りを
している幸せそうなカップルも
いました。
青空のもと満開の桜をバックに
きれいな写真が撮れたことでしょう。
若いお二人の末長いお幸せを
お祈りします。
山道の途中で見事な枝ぶりの桜が
ありました。
崖に木が生えているので、
枝が谷に向かって伸びて
カッコよかったです。
大聖院の下まで行ってみました。
大聖院は少し高いところにあるので、
ここはまだ桜が咲いてないようでした。
宮島の大鳥居は
高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、
総重量は約60tもあります。
主柱は楠の自然木を、
袖柱は杉の自然木を使っています。
現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、
明治8年(1875)に再建されました。
鳥居の屋根の下には石や砂が約5t詰められています。
根元は海中に置かれているだけで、自重で立っています。
棟の西側には三日月が、東側には太陽の印があります。
この日はちょうど干潮だったので、
たくさんの人が鳥居の下まで歩いて行って
いました。
満潮のときは厳島神社の床下まで
海水につかります。
(これは冬に撮った写真なので、
寒そうですが参考までに)
海の中に立つ神社を見たい時は
満潮の時間を調べて行かれることを
オススメします。
宮島観光協会HP
年間潮汐表はこちらからご確認下さい。
表参道商店街は観光客でごったがえしていますが、
一本山手の町家通りはゆったり歩くことができます。
昔ながらの民家の間に
お土産屋さんやおしゃれなカフェが
あります。
歩き疲れたので、
CAFE HAYASHIYAで一休み。
今回食べたのは
いちごのパフェ。
甘酸っぱいいちごのアイスと
濃厚でクリーミーなバニラアイスが
美味しかったです。
まだまだ見所満載の宮島ですが、
夕方になってきたので帰ることに
しました。
桜が終わると今度は新緑の季節に
なります。
青紅葉もとてもきれいなので、
また新緑の季節に行きます。
宮島口からJRに乗って新白島駅まで
帰ってきました。
いつもならバスに乗り換えるところですが、
太田川沿いの桜もきれいだったので、
歩いて帰ることにしました。
桜のトンネルができていました。
夕日で赤みがかった桜も趣があります。
黄昏の桜を楽しみながら歩いていると、
まん丸いお月様が登ってきました。
桜の間から満月も見れて、
いろんな表情の桜を満喫することができた
1日でした。
冬の間待ちに待った桜も
咲いたと思うとあっと言う間に
散ってしまいます。
その潔さが私たちの心を惹きつける
のかもしれません。
昔の人も桜のはかなさに万感の思いを込めて
歌に詠んでいます。
ひさかたのひかりのどけきはるの日に
しづ心なく花の散るらむ
紀友則(きのとものり)
現代語訳
日の光がこんなにものどかな春の日に
どうして桜の花だけはいそいで散ってしまうのだろうか
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
藤原公経(ふじわらきんつね)
現代語訳
花をさそうように散らす嵐の吹く庭に、
桜の花が降り敷くが、降り行くものは花吹雪ではなく
老いてゆく私の身なのである。
若い頃公経は太政大臣までのぼりつめ、
権勢をふるい、栄華を極めたました。
その公経にも老いが忍び寄ってきます。
風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を
いかにとやせん
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)辞世の句
現代語約
春の終わりに、風に散っていく花よりなお、
(二度と見ることもない)この春に名残惜しさを
感じてしまう私は、もはやどうすればよいのだろうか
浅野内匠頭は元禄14年(1701年)3月14日(旧暦)
江戸城松之大廊下で恨みを抱いていた吉良上野介に
切りかかりました。
五代将軍綱吉は激怒し、浅野内匠頭は即日切腹と
なりました。
「散るのが美しいとすれば、生き抜いてこそ」
と書かれている記事を見つけました。
日本人が心から桜を愛するのは
全力で咲ききって潔く散る桜に自分の生き様を
重ね合わせているからかもしれません。
日本人はなぜ「桜」をこんなにも愛するのか | ファッション・トレンド
『日本道』とは
「道」と名のつく最後の習い事として
株式会社ザメディアジョンの
山近 義幸社長が中心となって
立ち上げられました。
日本の素晴らしい
文化伝統、歴史などを7つのテーマ
にまとめ、
和の心を次世代に引き継いでいく
ことを目的とした講座です。
(株式会社ザメディアジョン 山近 義幸社長)
①日本人が大切にしたい【文化・伝統】
②日本人が大切にしたい【神話・天皇】
③日本人が大切にしたい【神社・仏閣】
④日本人が大切にしたい【大和言葉】
⑤日本人が大切にしたい【和食・食文化】
⑥日本人が大切にしたい【出来事】
⑦日本人が大切にしたい【偉人】
山近社長は
ダイヤモンドカンパニーと
未来をつくる若者たちを応援する
という使命をもって活動されています。
山近社長が言われる
ダイヤモンドカンパニーとは
実は業界トップクラスのシェアを持つ会社
業界初のものを作った技術力のある会社
地域に長く根差した会社
人財を育てることに長けた会社
志のあるベンチャー企業
いい会社にしようとコツコツ努力を重ね、
輝き始めた会社
私はそんな企業を
”ダイヤモンドカンパニー”と呼んでいます
ずばり、
新卒採用です!
新卒が入社するとまず、
若手に火がつきます。
幹部に責任感が生まれ、
採用担当者も成長します。
お客様や取引先、
銀行などの会社の関係先の
会社を見る目さえ変わります。
もっとも変わるのが
社長自身なのです。
私はもっともっと
ダイヤモンドカンパニーを増やし、
ニッポンをさらに元気に
したいのです!
山近社長はダイヤモンドカンパニーを
増やしたいという想いで、
25年以上も新規採用のお手伝いを
されています。
さらに就活支援の一環として
就活前の学生をご自身の鞄持ちとして同行
させる”鞄持ちインターシップ”をされています。
山近社長は会議や商談などビジネスの最前線の
場面にも学生を同席させます。
学生は山近社長と行動を共にして
現場を体験するとこで
経営者がどのように考え、行動しているか、
肌で体感することができます。
”鞄持ちインターシップ”をすることで
経営者たちのリアルなビジネス現場を
生で見た者しか得られない本物の就活力、
そして社会で活躍できるビジネス力とは何かを、
就活前に感じることができます。
大学生のうちに
現実を自分の目で確かめ、頭で考え、
心で感じてみる
ことで、今いる自分の環境の枠から
飛び出すことができます。
就職活動や社会人になったときに
この経験が役に立ちます。
就活前に、鞄持ちで失敗経験をすることで、
物怖じすることなく、ノンストップで成長する
力になります。
就活前の学生はまだどんな失敗をしても
許される存在です。
社会に出る前に冷や汗をかくほどの失敗体験を
積んで欲しいです。
山近社長の鞄持ちインターシップを経験した学生さんは
行動力、意識が高まり、希望の会社に就職することが
できています。
たった1日で内定への道が開ける「鞄持ちインターンシップ」とは – あの山近義幸.jp
山近社長は、学生の就活支援をされる中で、
若者が自分たちの祖国である
日本のことを知らないこと
言葉使い、礼儀作法などが乱れて
しまっていることに気がつかれました。
日本の素晴らしい文化伝統や
人を思いやる和の心が
若者に受け継がれていないのです。
日本人が和の心を忘れるようになった
一つの原因としてアメリカの
「日本人白痴化計画」
の影響もあると言われています。
第二次世界大戦で、
敗戦した日本にGHQがやってきました。
アメリカ人は
日本人の精神性の高さに驚きました。
日本人は志を持って社会に貢献する徳を
重んじる民族です。
お金や地位・名誉などで
コントロールできる民族ではありませんでした。
日本を支配したいアメリカにとって
この民族性はとてもやっかいなものでした。
そこで、
アメリカは日本人の和魂を骨抜きにする
政策を実施したのです。
その結果、日本人は相手を思いやる利他の心から
自分の私利私欲を満たす利己的な考えをする
ようになってしまいました。
このことが日本社会の乱れに
繋がっているように思われます。
山近社長はこの現状に危機感を覚え、
若い人たちに日本の素晴らしい”和”の伝統を
受け継いでいきたいという思いで
この『日本道』を始められました。
これは、GHQのせいでしょうか?
ゆとり教育のせいでしょうか?
日教組のせいでしょうか?
違います!
これは私たち大人の責任です。
これからの日本を支えるのは”若者”です。
私たち大人が和の精神に立ち返り、
行動する背中を見せることで、
若者たちを導いて
いく必要があります。
私は少しでも若者が日本を好きになる
きっかけになればと思い、
若者に伝えたいこと、語り継ぎたいことを
若者が楽しみながら学べるようにという
想いをこめて『日本道』を始めました。
「今の若い者は・・・」
と若者を批判しても
GHQやゆとり教育のせいにして
嘆くばかりでは何もよくなりません。
今の若者がこんな現状になったのは
自分たち大人の責任だと明言し、
今のこの現状を変えるために
自分にできることは何かを考え、
形にされた山近社長の
熱い想いを感じることができました。
私が山近社長と知り合うことができたのは
フィナンシャル・アドバイザリー
代表の三村 達也さんがご縁を繋いで
下さったからです。
(左から
フィナンシャル・アドバイザリー 三村 達也代表
株式会社ザメディアジョン 山近 義幸社長
新潟県立大学 鞄持ちインターシップ中の斎藤 華菜さん)
金曜日の早朝に山近社長から初めて
メッセージを頂き、
急遽翌日に東京で開催された
【大和言葉】セミナーに
参加させて頂きました。
東京駅で山近社長と
この日鞄持ちをしていた新潟県立大学の
斎藤 華菜さんと合流しました。
鞄持ちといってもただ鞄を持つだけでなく、
山近社長の秘書的な役割もします。
靖国神社の遊就館で海軍カレーを食べようと
いうことになり、タクシーに乗りました。
齋藤さんが前の席に乗り、
支払いをして領収書を受け取ります。
遊就館は、日本を守るために戦争で
亡くなった方の遺書や遺品などの
資料が展示されています。
カレーができる間に売店の書籍コーナーに行き
オススメ図書などを見せて頂きました。
山近社長がその中から単行本を
10冊くらい手に取って、
齋藤さんに「これ、買っといて!」
渡されました。
齋藤さんは「はいっ」と返事をして
本を受け取り、レジに向かいます。
私たちは先にレストランに戻り、
本の支払いを済ませた齋藤さんが
小走りに戻ってきて一緒に
カレーを食べました。
齋藤さんは
山近社長が出される指示はもとより
常に気配りをし、先を読んで
きびきびと動かれていました。
齋藤さん、学生さんなのに
とてもよく気が効いてスゴいですね。
と山近社長に言うと
いや〜。初日は全く何もできなかったんですよ。
と言われていたので、びっくりしました。
この日が齋藤さんの”鞄持ちインターシップ”最終日
とのことでしたが、
ほんの数日でここまでできるようになるとは
山近社長の現場体当たりの指導力と
齋藤さんのしっかり学ぼうという
素直さを感じました。
食事が済むと『日本道』セミナー会場まで
歩いて移動しました。
山近社長は大股でどんどん歩かれます。
鞄やら本やら重たい荷物を持っている
齋藤さんは遅れながら一生懸命ついて
きます。
私は山近社長のことをよく知らないまま
お会いしたので、
「どうして就活支援をされているのですか?」
と聞いてみました。
そうすると
「就活支援をしてると体裁がいいから」
という意味の返事が返ってきました。
私は学生の就活支援への熱い想いが
返ってくると思っていたので、ちょっと
肩透かしをくらったような感じがしました。
だけど、広島に帰ってから
調べてみると、
”鞄持ちインターシップ”は
2000年から始められ、もう18年続けられている
ことがわかりました。
山近社長の鞄持ちをした学生は約5000人!
学生さんとはぐれたり、鞄が行方不明になったり、
いろんなトラブルもあったようですが、
それでも続けられているのは、
ダイヤモンドカンパニーを増やすことで
日本を元気にしたいという熱い志が
あるからだこそと思いました。
山近社長の鞄持ちをした学生は
この体験からいろんな気づきを得て
大きく成長して社会に羽ばたかれて
います。
毎年1万人の大学生、
1000人の経営者・人事担当者に会うことを
自らに義務付けて全国を飛び回る山近社長も
若い頃は挨拶もできない人間だったそうです。
かつて無気力で何も知らなかった私を
まっとうな世界に戻してくれた人たちがいます。
私が今あるのは、私への社会常識や
大切なことの教育、叱咤激励を、
あきらめずに粘り強くしてくれた魅力的な
人生の諸先輩たちのおかげです。
そして私は「天職」と呼べる仕事と出会えました。
就活は、人間力が高まる
運命的な人たちと出会うことができ、
ご縁と呼べるような会社と
出会える絶好のチャンスです。
そんな大事な時期に、
逃げずに学生たちと
本音で関わるのはもはや
「天命」であり、
人生の諸先輩方への恩返し
だと思っています。
私は、この国にもっともっと、
いい笑顔を増やしたい。
学生も経営者も、ビジネスマンも、
いい仕事をしている人たちは決まって
みんないい笑顔です。
そうは言うものの私は笑顔が苦手です。
だから人並み以上に努力し続けるしかないと
思っています。
これからも毎日全国のどこかへ出かけ、
現場・現物・現実主義で
「ご縁と感謝」
の輪を広げていきます。
鞄持ちインターシップに参加した
男子学生の感想
【最後にこの4日間の鞄持ちインターンシップを終えて】
この4日間、自分ではできてないと思うこともたくさんあったが、
特に何気なくやっていることが初めての場で役に立ったり、
それが褒められて嬉しかったり。たくさんの方に出会って話を聞くことができて。
この4日間をまとめるとしたら、
「新発見の4日間」になると思う。自分のできていないこともできていることも、
初めて会うような人も。
この4日間で知ることができた
これらのことでさえほんの一部だと思うので、
これからももっと新しい発見をしていきたい。最後に、山近代表、鞄持ちインターンシップを通して
出会ったみなさま、インターンシップをするにあたって
アドバイスや体験談を聞かせてくれたみなさま、
本当にありがとうございました。
”鞄持ちインターシップ”の
詳しい体験レポートはこちら
『日本道』大和言葉セミナーレポートは次回に続きます。
お楽しみに!